
この場所に初めて足を踏み入れた瞬間
とても優しい空気と時に包まれた。
                          
                          なんとも言えぬ不思議な空気。
                          
                          柳澤さんにお会いした瞬間
                          
                          そう、この場所を心から愛し・大切にしている気持ちが伝わってきた。
                          その後、何度となく沢山の方がこの場所に訪れ来ることになったが、
                          皆優しく・穏やかな顔になり、笑顔で次へと向かう姿にふれ
この場所には
                          沢山の人を笑顔にする宝物があると感じた。
                          大切にしたい場所から、大切にしたい気持ちが
一人でも多くの人に伝わり
                          優しさと楽しさと・・・・・・・・
そして沢山の笑顔に出逢える
                          そんな財団にするために
                          一度、この場所へ・私達に・逢いに来て下さい。
                          沢山の笑顔にお逢いできることを楽しみにお待ちしております。
柳澤家は宝暦4年(1754年)頃より現在の世田谷区大原に在住、以降現在に至る。(歴史の詳細は現在調査中)
                               
                             柳澤邸は昭和26年に建てられた約13坪の小住宅である。施主である柳澤と設計者伊東安兵衛はいわゆる民芸建築への関心が高く、その特徴は大きな切妻造りの屋根、幾重にも組まれた貫と束の意匠、また堅羽目板と押縁下見板張りの仕上げに、さらには大谷石を使用した玄関等に現れている。
                            
                             柳澤邸は戦後復興期に建てられた小住宅と共通の要素を多く持ちながらも、座敷飾りである床、棚、書院を持つ応接間を洋風にしたり、外観に伝統的な民家の意匠を用いたりと、戦前に興った民芸運動が戦後にも影響を及ぼしていたことを示す興味深い例として位置づけられる。
                            
                             広大な敷地内には桜・柿・梅・銀杏・山茶花・椿・松・楠・栗・紅葉・柚・金柑・榊・竹・ツツジなど四季折々の木が植えられている。
                             
                            *民芸とは一般民衆の生活の中から生まれた、素朴で郷土色の強い実用的な工芸。大正末期、日常生活器具類に美的な価値を見出そうと、いわゆる民芸運動を興した柳宗悦による造語。 
                            
伊東安兵衛(1908年~1972年)
                                   東京都生まれ。
                                   法政大学哲学科卒業後、東銀座三原橋に喫茶店「門」を開く。
                                   その後、民芸家具等を扱う「たくみ」に入社。
                                   昭和28年頃より、家具設計のため松本市を度々訪問し、家具、木工の多くのデザインを担当する。他方、建築設計にも多く携わり、合掌造りの郷土料理店「ふるさと」をはじめ、民芸調の建物を残した。